3月11日は東日本大震災があった日です。
震災のあった場所がちゃんと復興するまでチャリティーイベントを毎年開催しているのが
園田青年会と胡屋青年会の方々です。
昨日も寒い中、北谷町の観覧車の下の広場でエイサーを踊って寄付金の協力を呼びかけていました。
今年の沖縄のお盆は、
8日はウンケー(先祖を迎える日)
9日はナカノヒー(中の日)
10日はウークイ(先祖を送る日)
3日間に渡り、あの世から来た先祖の霊をそれぞれ仏壇のある家でおもてなしします。
ウンケー(お迎え)の日から先祖の霊に沢山ご馳走を食べてもらいます。
ウークイのやり方は各家庭で微妙に違います。仏壇の前に親戚一同集まって容器に水を張ってお供えしたご馳走やお花などを入れて、「ウチカビ」(あの世のお金)を燃やします。普通は、「グーサン(杖)」と呼ばれるサトウキビを長く切ったものを2本用意します。これを霊が杖にして帰るといわれています。ウチカビを全部燃やした後は、灰になったウチカビの入った器ごと持って外まで霊をお見送りをします。親戚一同外へ出て、手を合わせて最後のお別れをする。幅50cm以上もある大きな食わず芋の葉に燃やしたウチカビの灰、お供えしたご馳走とお花などを乗せて次の日の朝までそのまま放置しておきます。
ウンケー(8日)の夜からは地元の青年会の人たちがエイサーを踊りながら村の
中道を歩きまわる道ジュネーが始まります。
人気のある青年会は追っかけがいて、青年会が歩く後ろから付いて歩きます。
今日の朝は工業高校、調理科の学習発表会でした。
昨年の4月に入学して早一年、この1年間で学んだ料理、
「日頃の感謝を料理に込めての、お・も・て・な・し」と題して
父母を招いての体験学習を行いました。
最初は調理をしているのを見学
三色丼(錦糸卵・鶏肉・刻み海苔)
全ての料理(左上鯛白焼きべっこう庵・右上茶碗蒸し・左下三色丼・右下かけうどん)
エイ坊ナンバープレート
沖縄市では、沖縄市エイサーキャラクターの「エイ坊」がプリントされたナンバープレートがオートバイを所有している希望者に配布されました。
沖縄市にいらした際には、このエイ坊のナンバープレートを探してみて下さい。
ナンバーの色は白だけではなく、ピンクもあります。
去った11月1日は泡盛の日でした。
11月から泡盛製造の最盛期に入り、泡盛の美味しい季節となることから、
沖縄県酒造組合連合会が1989(平成元)年に制定。
「沖縄そば」で慣れ親しまれてきましたが、昭和51年に公正取引委員会から「そば」と呼ぶ事に、
クレームがはいります。
もともと沖縄そばの原材料は100%小麦粉を使用しています。
「そば」の基準では、そば粉を30%以上使用する事で、「沖縄そば」は「そば」と呼ぶことが
できないという事でした。
このとんでもない一大事に、当事発足した沖縄県生麺協同組合が、沖縄県内の公正取引室、
東京の全国生麺協同組合連合会、東京本庁等に、何度も足を運び、打開策を見つけるべく、
交渉を重ねた結果、昭和53年の10月17日に 「本場沖縄そば」として使用が認可されました。
その日を記念して1997年に沖縄生麺協同組合が「沖縄そばの日」を制定しました。
旧暦9月7日(今年は10月11日)に行う長寿(97歳)のお祝いを「カジマヤー(風廻)祝い」といい、最高の長寿祝です。
「風廻」とは風車のことで、97歳にもなると、童心に返って風車を持って遊ぶことから
お祝いの席や車に風車を飾って盛大に祝賀の催しが行われます。
このお祝いには、親類や知人だけではなく大勢の人々が長寿にあやかろうとつめかけます。
男性は頭巾にちゃんちゃんこ、女性は85歳、88歳に着用した青、黄色の紅型の上に赤の打掛を羽織ります。
いずれもお祝いにかけつけた客は長寿にあやかりたいという思いを込めて、杯を頂きます。
そのあと大皿に盛り付けられた塩(生きていくうえで必要不可欠なもの)、 昆布や鰹の削り節(縁起物)を
少しずつ分けてもらう習わしがあります。